☆ 由 緒
当社の社伝によりますと、往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、 この里の
神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申したと伝えられております。
社伝には景行天皇の御宇皇子日本武尊(やまとたける)御東征の砌(みぎり)、相模
よりの御渡航に際 し、海上颶風(くふう)の難に遭い妃橘姫御身代わりとして御入水
の事あり、尊は無事御上陸の後、愛惜の情に堪えずしばらく当社に御滞留遊ばされ
たので、この里 を「君去らず」と称え、漸次訛って「木佐良津」また「木更津」という
ようになったと伝えております。
しかし、この社伝は少し考究を要することで、現在の八剱八幡神社の御祭神は、
「應神天皇、仲哀天皇、神功天皇」 相殿に「素盞鳴命、日本武尊」をお祀り申し上
げています。
ご承知のとおり八幡宮は、何処の神社も皆、「應神天皇」を主神としております。
相殿の神は後世の併斎(へいさい)としても第15代「應神天皇」(皇紀930〜972)を
お祀りした神社に、第12代「景行天皇」(731 〜790)の皇子がお詣りなさったという
のは、小野道風の書いた「和漢 朗詠集」と同様、兼好法師に笑われるだろうという
方があるかもしれませんが、社伝には「八剱」の神と伝えて「八幡神社」とはないの
です。
要するに往古この里の神は産土神であって、八幡信仰が全国に広まったのは、それ
よりずっと後世の事であると思われます。そうすれば「日本武尊」が当社に詣でられ
たという伝承も矛盾はなく、唯「君去らず」−「木更津」の転訛は土俗学・言語学的に
は異議があるかもしれませんが、一説として残しておく事も差し支えないでしょう。
同様に
君去らず袖しが浦に立つ波の
その面影を見るぞ悲しき
の歌も後人が尊の御心中を拝察して詠じたものと見てよろしいかと思われます。
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